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「功名が辻」のご紹介
山内土佐守一豊。通称・伊右衛門。
幼い頃に親と兄を亡くし家督を継いだ。
信長に仕官当時の知行はわずか50石だった。

武力の誉れが高いわけでもなく、智謀が豊かなわけでもなく、
ただただ実直さだけが取り柄のこの男が土佐一国、
石高にして24万石の大封を得られたのはなぜか?

一心不乱に敵陣めがけて突き進んでいったその勇気。
自分の器量を認識し家臣の言葉に耳を傾けたその姿勢。
主人のためなら命を落とすことも厭わない忠実な家臣たち。
裏表のない潔い性格を高く評価してくれた戦国三英傑たち。
そして何より、苦難の日々を影で支えてくれた妻・千代の存在。

そのどれかひとつでも欠けていたら
掴むことは出来なかったであろう一国一城の主の座。

立身するために、生き残るために、
必死にその術を模索し続けた61年の生涯。

激動の戦国時代を駆けぬけた一豊と千代の物語。
2006年大河ドラマ「功名が辻」


原作「功名が辻」全四巻 各570円(税込)

第1巻

第2巻

第3巻

第4巻


その他の司馬遼太郎作品は「司馬遼太郎・他作品のご紹介」ページをご覧ください。

 
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一豊と千代のご紹介
山内一豊(1546〜1605)※生年については45年説あり
土佐山内家・初代藩主。
対馬守を経て従四位下土佐守。
愛知県出身で幼名は辰之助、通称は伊(猪)右衛門。

父は岩倉織田家で家老を務めた山内盛豊。
母については様々な説があるが梶原氏の娘が有力。

兄の長十郎は山内家の居城・黒田城を夜襲された際に討死し、
父・盛豊も岩倉城攻防戦の際に討死したために一豊は13歳で山内家を相続します。

1567年から1570年の間に織田信長の家臣となり武将としての生活が始まります。
越前攻略戦、姉川の戦いで戦功あげ、近江唐国に200石の知行を拝領します。

それ以降も、派手さはないのですが、堅実・着実に武功をあげ、
1585年に近江長浜2万石、1590年には遠江掛川5万石を拝領します。

そして、1600年の関ヶ原の戦いでの2つの忠義が高く評価され、
家康から土佐一国24万石を拝領します。
※20万石という説もあり

土佐入国後は、長宗我部の遺臣たち(一領具足)に苦戦するも、
なんとかこれを制圧し、高知城の築城や城下町の整備に力を注ぎました。

そして、1605年に没。法号は大通院殿心峯宗伝。
墓は京都・大通院の堂内に千代の墓と並んでいます。

※詳しい年表は「山内一豊の詳細年譜」ページをご覧ください。

千代(1557〜1617)※生年については諸説あり
名は千代。※「まつ」という説もあり
一豊の没後は出家し、見性院と名乗りました。
晩年は土佐ではなく、京都で過ごしたと言われています。
そのため彼女の墓は京都市内の大通院にあります。
千代の死後、一豊の墓も土佐から京都に移されました。
これは千代が亡くなる前に「一緒の墓に入りたい」と望んだのかもしれません。

戦国武将の良妻賢母と言われれば必ず名前の上がる彼女ですが、
生年や出自などの詳細が不明で、いろいろな説が唱えられています。

まず生年に関しては1557年説が有力です。
そして意見が真っ二つに割れている出自についてですが、
これまでは近江の浅井家家臣・若宮喜助友興の娘との説が有力でしたが、
最近では美濃の郡上八幡城主・遠藤盛数の娘という新たな説が出てきました。
どちらも確証できるような資料がないために、現在においても詳細は不明です。

現在はやや遠藤説が有力のようですが、遠藤説では身分の違いの問題があります。
結婚当時の一豊は知行も少なく(数十石)、豪族の娘とは釣り合いがとれません。

このように謎の多い彼女ですが、一豊に嫁いできたことだけは事実です。
そして一豊が下っ端の馬廻り役だった頃からずっと山内家を支えていったのです。

生活が苦しかった頃、米を量るマスを裏返しにしてマナ板代わりにしていたという話しや、
他にも一豊の家臣たちに飯を食わせるために髪を売った話しなどが伝えられています。

しかし、なんと言っても千代の良妻賢母振りが如実に出たのは、
黄金十枚で駿馬を買わせた話し」と「一豊への密書」のときだと思います。
これらについては別ページでまとめましたので、ご覧ください。

とにかく、平凡でただ実直だけが取り柄の一豊が出世できたのは、
彼を裏で一生懸命に支えていた千代の存在が大きかったようです。

事実、一豊は千代以外に妻を娶りませんでした。
戦国時代の武将は正室のほかに多くの側室を持つのが通常でしたが、
一豊は千代をよく愛し、大切にしていたということがよく分かります。

一豊と千代の間には1人だけ、女の子が生まれたのですが、
長浜在城時の大地震により若くして亡くなってしまいます。

その翌年、山内家屋敷前に捨て子があり、これを引き取り、拾と名付けて養育しました。
一時は子のいない山内家の跡取りにしようと考えたこともあったようですが、
家臣などの反対もあって、山内家の連枝衆として僧籍に入れることにしたようです。
山内家の2代目は一豊の弟・康豊の嫡男・忠義が継ぐことになりました。

千代は拾をとてもかわいがっていたので、離れるているのは寂しかったのでしょう。
一豊が土佐一国を拝領した時に拾を土佐に呼び寄せて、寺を建立しています。

そして1617年12月、千代は61歳の生涯を終えます。
雪が激しく降る夕方に息を引き取ったと伝えられています。
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その他登場人物のご紹介
山内家の親族・家臣
その実直さ、日本一 山内一豊 上川隆也
良妻賢母の鏡 千代 仲間由紀恵
口うるさき指南役 五藤吉兵衛 武田鉄矢
夫婦の良き相談役 祖父江新右衛門 前田 吟
一豊の母 法秀尼 佐久間良子
千代の養母 きぬ 多岐川裕美
千代の養父 不破市之丞 津川雅彦

秀吉をめぐる人々
人たらしの天才 豊臣秀吉 柄本 明
秀吉家中のまとめ役 ねね 浅野ゆう子
秀吉の愛妾 永作博美
秀吉政治の犠牲者 松本明子
悲劇の殺生関白 豊臣秀次 成宮寛貴
天才軍師 竹中半兵衛 筒井道隆
最古参の老臣 前野将右衛門 石倉三郎
地方豪族の頭領 蜂須賀小六 高山善廣
秀吉子飼いの猛将 福島正則 嵐 広也

信長をめぐる人々
その野望「天下布武」 織田信長 舘ひろし
美しき悲劇のヒロイン お市 大地真央
織田信長の正室 お濃 和久井映見
武勇に秀でた猛将 柴田勝家 勝野 洋
信長の老臣 林通勝 苅谷俊介
悲運の織田家家老 佐久間信盛 俵木藤汰
信長家中の要石 丹羽長秀 名高達男
悲運に生きた絶世の美女 細川たま(ガラシャ) 長谷川京子

戦国を生きる男たち
「義」に生きる知将 石田三成 中村橋之助
天才に挑んだ近江の豪傑 浅井長政 榎木孝明
伝統主義者 浅井久政 山本 圭
東海一の弓取り 今川義元 江守 徹
誇り高き反逆者 明智光秀 坂東三津五郎
戦国の覇者 徳川家康 西田敏行

一豊・千代をめぐる人々
仏の茂助 堀尾吉晴 生瀬勝久
無類の情報通 いと 三原じゅん子
家康の牽制役 中村一氏 田村 淳
噂話しの発信元 とし 乙葉
忍びの者 小りん 長澤まさみ
千代を守る謎の甲賀者 六平太 香川照之
一豊に忠実な弟 山内康豊 玉木 宏
山内家中の新世代 祖父江新一郎 浜田 学
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原作者・司馬遼太郎のご紹介
「功名が辻」の原作者・司馬遼太郎さんは、大阪府大阪市出身の小説家です。
本名は福田定一といい、1923年8月7日生まれ、1996年2月12日に亡くなられました。

最初から小説家だったわけではなくて、複数の新聞社勤務を経て、
1956年に文壇デビューされています。結構、遅咲きの方なんですね。

専攻は歴史小説で、「功名が辻」や「国盗り物語」などの名作を数多く残されています。

豊富な知識を余すところなく詰め込んだ彼の作品は高評価のものが多く、
現在までに多くの作品が映画化・ドラマ化・舞台化されています。

個人的には、小説の随所に書かれている「余談」が好きです。
エピソードを分かりやすく説明してくれるので、時代背景などがよく理解できます。

あとは、小説を読んでいると司馬遼太郎さんの好きな武将、嫌いな武将がよく分かります。
好きな武将には大変好意的な書き方をするのですが、嫌いな武将には結構冷たいですw

司馬遼太郎さんは本当にたくさんの小説を書かれていますから、
その中からあなたにぴったりの一冊を見つけてくださいね!
個人的には「国盗り物語」が一番好きです。

代表作:「功名が辻」「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」など


司馬遼太郎作品の詳しいレビューは「おすすめ司馬遼太郎作品」にまとめました。


1923年 大阪府に生まれる。
1946年 新日本新聞に入社する。
1948年 産業経済新聞社に入社する。
1956年 短編小説「ペルシャの幻術師」を講談社の懸賞に応募し、
第8回講談倶楽部賞を受賞し文壇デビューを果たす。
1960年 梟の城」で第42回直木賞を受賞する。
1961年 産業経済新聞社を退社して、執筆活動に専念する。
1964年 現在、司馬遼太郎記念館のある東大阪市の下小阪に転居する。
1966年 竜馬がゆく」「国盗り物語」にて第14回菊池寛賞を受賞する。
1972年 世に棲む日日」で第6回吉川英治文学賞を受賞する。
1988年 韃靼疾風録」で第15回大佛次郎賞を受賞する。
1991年 文化功労者に選ばれる。
1996年 腹部大動脈瘤破裂のため国立大阪病院にて死去。享年72。
参考・Wikipedia「司馬遼太郎」項

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