当サイトは、2007年大河ドラマ「風林火山」のファンサイトです
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山本勘助の詳細年譜
明応2年 1493年

 三河国宝飯郡牛窪に生まれる。
  (生年については1501年説あり)(出生地も駿河国富士郡山本の説あり)

天文5年 1536年  今川家に仕官するために駿河に入国する。
天文12年 1543年  武田晴信に知行200貫で召抱えられる。
 同年、信濃国侵略に活躍し100貫加増される。
天文15年 1546年  原美濃守虎胤の姪、もしくは妹を娶る。
天文19年 1550年

 戸石城攻略戦で活躍し500貫を加増され足軽大将となる。

天文22年 1553年

 北信濃・川中島近辺に海津城を築城する。

永禄2年 1559年

 信玄の出家に伴い、勘助も出家する。法号・道鬼斎。

永禄4年 1561年  川中島の合戦で討死。享年69才。
発生年については諸説ありますので、そのうちの1つとお考えください。
文書ベースでの紹介は「山本勘助のご紹介ページ」をご覧ください。
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山本勘助の実在性について
山本勘助が実在したかどうかについては今もなお議論が続いています。

武田遺臣の小幡景憲が書いた「甲陽軍艦」に山本勘助なる人物が登場しますが、江戸時代初期に作られた本作には明らかに間違っている箇所なども存在するため、その記述のすべてを信用することは出来ません。

このページでは勘助が「実在したとする説」「架空の人物であるという説」をそれぞれの根拠を挙げて検討していくことにしましょう。


まず「実在したとする説」は、昭和44年に市川家で発見された、武田晴信が市河某に宛てた書状を根拠とします。 1557年に書かれたと見られるこの書状の末尾には

「山本管助、口上有るべく候」

と結ばれており、この「山本管助」が甲陽軍艦に登場する「山本勘助」と考えられます。この書状により「山本管助(勘助)」なる人物が実在したことは確かめられたのですが、勘助が軍師として活躍していたかどうかまでは残念ながら分かりません。




次に「架空の人物であるという説」を考えてみましょう。架空説には多くの根拠がありますが、ここでは有名なものを2つご紹介したいと思います。

まず1つ目は、武田晴信が家臣たちに忠誠を尽くすことを誓わせた起請文の中に山本勘助の一族の名前が見当たらないことです。この起請文は勘助が川中島の戦いで討ち死にしてから6年後に作られたものですが、勘助が実在していたのであれば、彼の嫡子である勘蔵やその弟の名前が載っているはずです。ただ、勘蔵をはじめとする子供たちが元服していない可能性もありますので、これだけをもって架空に人物と断定するのは無理がありそうです。

2つ目は山本勘助の諱(いみな)です。勘助の諱は「晴幸」といい、「晴」という字は武田晴信から一字を賜ったとされています。しかし、武田晴信の「晴」は足利家12代将軍の義晴から賜ったものであり、その一字を家臣に与えるというのは当時の常識からは考えられません。当時の常識からすると晴信が家臣に与えるとすれば「信」という字であり、例えば高坂弾正昌信の「信」などがそれにあたります。武田家家臣団を調べてみても諱に「晴」が付くものは勘助以外におらず、これは甲陽軍艦の作者の小幡景憲が勘助と晴信とのつながりを考えて架空の人物に命名したものと考えられるわけです。


上記の根拠などを考慮すると、個人的には・・・山本勘助なる人物は実在したものの、軍師ではなく書状などを相手に届けるような身分(連絡将校みたいな感じ)だったのかな、と。

また、軍師にもいろいろ種類がありまして、将来の天気などを占う人間のことも当時は軍師と呼んでいたようです。私たちの軍師のイメージとしては、常に主君のそばにいて適切な助言をする参謀的な指揮官という感じ(WMがそう思っているだけかも・・・)ですから、ひとえに軍師といっても多種多様であったようです。

皆さんはどうお考えでしょうか?他の有力根拠などをご存知の方がいらっしゃいましたら掲示板などで教えていただければ幸いです。お待ちしておりますm(_ _)m
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山本勘助・ゆかりの場所
元服・浪人時代(三河・駿河)
出生地の有力候補のひとつ駿河国山本の勘助関連の写真など(外部リンク)
出生地の有力候補のひとつ三河国・牛久保近辺の写真など(外部リンク)
出生地の有力ではない候補のひとつ三河国・賀茂の勘助関連の写真など(外部リンク)
武田家家臣時代(甲斐・信濃)
由布姫の墓がある小坂観音院の写真など(外部リンク)
山本勘助が使っていた屋敷や墓の写真など(外部リンク)
勘助が活躍した戸石城攻略戦の舞台となった戸石城の写真など(外部リンク)
山本勘助の縄張りにより築城されたと言われている海津城の写真など(外部リンク)
勘助、最期の地・川中島の写真など(外部リンク)
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