当サイトは、2007年大河ドラマ「風林火山」のファンサイトです
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山本勘助の実在性について
山本勘助が実在したかどうかについては今もなお議論が続いています。

武田遺臣の小幡景憲が書いた「甲陽軍艦」に山本勘助なる人物が登場しますが、江戸時代初期に作られた本作には明らかに間違っている箇所なども存在するため、その記述のすべてを信用することは出来ません。

このページでは勘助が「実在したとする説」「架空の人物であるという説」をそれぞれの根拠を挙げて検討していくことにしましょう。


まず「実在したとする説」は、昭和44年に市川家で発見された、武田晴信が市河某に宛てた書状を根拠とします。 1557年に書かれたと見られるこの書状の末尾には

「山本管助、口上有るべく候」

と結ばれており、この「山本管助」が甲陽軍艦に登場する「山本勘助」と考えられます。この書状により「山本管助(勘助)」なる人物が実在したことは確かめられたのですが、勘助が軍師として活躍していたかどうかまでは残念ながら分かりません。




次に「架空の人物であるという説」を考えてみましょう。架空説には多くの根拠がありますが、ここでは有名なものを2つご紹介したいと思います。

まず1つ目は、武田晴信が家臣たちに忠誠を尽くすことを誓わせた起請文の中に山本勘助の一族の名前が見当たらないことです。この起請文は勘助が川中島の戦いで討ち死にしてから6年後に作られたものですが、勘助が実在していたのであれば、彼の嫡子である勘蔵やその弟の名前が載っているはずです。ただ、勘蔵をはじめとする子供たちが元服していない可能性もありますので、これだけをもって架空に人物と断定するのは無理がありそうです。

2つ目は山本勘助の諱(いみな)です。勘助の諱は「晴幸」といい、「晴」という字は武田晴信から一字を賜ったとされています。しかし、武田晴信の「晴」は足利家12代将軍の義晴から賜ったものであり、その一字を家臣に与えるというのは当時の常識からは考えられません。当時の常識からすると晴信が家臣に与えるとすれば「信」という字であり、例えば高坂弾正昌信の「信」などがそれにあたります。武田家家臣団を調べてみても諱に「晴」が付くものは勘助以外におらず、これは甲陽軍艦の作者の小幡景憲が勘助と晴信とのつながりを考えて架空の人物に命名したものと考えられるわけです。


上記の根拠などを考慮すると、個人的には・・・山本勘助なる人物は実在したものの、軍師ではなく書状などを相手に届けるような身分(連絡将校みたいな感じ)だったのかな、と。

また、軍師にもいろいろ種類がありまして、将来の天気などを占う人間のことも当時は軍師と呼んでいたようです。私たちの軍師のイメージとしては、常に主君のそばにいて適切な助言をする参謀的な指揮官という感じ(WMがそう思っているだけかも・・・)ですから、ひとえに軍師といっても多種多様であったようです。

皆さんはどうお考えでしょうか?他の有力根拠などをご存知の方がいらっしゃいましたら掲示板などで教えていただければ幸いです。お待ちしておりますm(_ _)m
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